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薪能の発祥はわがまち京田辺・・

  • sukimachi2015
  • 2023年10月23日
  • 読了時間: 3分

更新日:2023年10月23日


会員の方々には会員向け会報のコラムでもお伝えした様な内容になりますがご容赦くださいね。


その昔、室町時代 ・ ・ ・一休禅師は晩年京田辺・酬恩庵に移り住みました。

そのころ観阿弥・世阿弥が猿楽を大成しましたが、その世阿弥の娘婿・金春禅竹が一休禅師を慕い酬恩庵のそばに移り住み、一休に請われて舞を演じたそうです。

禅竹は能役者としても、能作者としてもとても優れた人物だったようです。

金春禅竹が一休のために舞を舞った場所は酬恩庵・一休寺の門前で、その地は薪荘と呼ばれていました。

この薪という地名は、石清水八幡宮の神事などで使う薪を納めていたから名付けられたとのこと。

ここ薪で演じた舞こそが薪能の名の由来になったという説があるのです。

一休寺の西側すぐそばには薪神社という神社があります。


ここには能楽発祥の碑があり、碑文には、

 『能楽は薪能すなわち金春能に始まり

  次に宝生能 観世能は大住に

  金剛能は大和に発祥した』

とあります。


薪能は奈良興福寺南大門前の芝生で演じられた薪猿楽を指すと興福寺や奈良県観光協会を通して定説になっています。

でもそれって定説なだけ・・・

わがまち薪こそが、京田辺こそが、薪能発祥の地って声を上げたいですよね。


ちょっとこんなシーンを思い浮かべてみませんか。。。

(あくまで、超勝手な私見です。空想です。検証など一切ありません(^^;)  )

一休は、なぜ京都と奈良の中間にあたる京田辺に居住したのでしょうか。

時は南北朝の時代。ご落胤であった一休は身分を隠すように生きています。でもとても聡明な人物で、それゆえ、二つの朝廷の間で、もしかしたら両方の情報を得るという重要な役割を担うべく中間点でもあるこの地に住んだのかもしれません。

文芸に長けた一休は、酬恩庵の門前において金春禅竹に舞を舞わせる。

この地『薪』の地名は、石清水八幡宮が年中行事で使う薪を送りだす地であったから付いたとのこと。ならば、その舞は昼から、やがて夜に薪を灯した中で行われるようになってゆく。闇の中であれば、人目をはばかる密かな話も行いやすい。ただ舞に酔いしれるだけでなく、そこではもしかしたらスパイのような暗躍があったのでは・・・なぁ~んて空想してみるのも面白くないですか?

そんなことを考えたりしながらも、薪能って言葉は、いえいえ、薪能そのものはわがまち京田辺がやっぱり発祥なのかも!                     


京田辺には、月読神社の参道から少しばかり

入った左手木立の中に『宝生座 発祥の碑』が

あります。

また、

大住虚空蔵谷には、『観世座発祥の碑』

があります。

気になる方は見に行ってみてくださいね。




さて、すきなまち京田辺塾は、

薪能はわがまち京田辺こそが発祥なんだ!との思いで、

同志社大学能楽部観世会の精鋭メンバーに協力を頂き、今年もたなフェスで能舞台を行います!!

時間の関係で、ちょっぴり能に触れてみるという感じですが、高い敷居なんてありません。入場料だっていりません。(笑)

11月3日中央公民館大ホールにて【たなフェス能舞台】AM10:50~の予定です。

どうぞ多くの皆様のご来場をお待ちしています。

詳細はまた間近にアップさせて頂きますね。

 





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